覚書
1202 世界的になりたいと皆が口にするけれど、世界的に有名になることと世界中の人を幸せにすることでは随分と違うきがした月曜日。
思春期に好きだったアイドルは今はアーティストして活動している。彼の曲は好きだし、カッコイイと今も素直に思うけど、彼と彼らへ抱く感情の決定的な差はそこにリスペクトの気持ちがあるかだと自分の中で思う。
「彼ほど好きなアイドルはできないと思う」と友人が口にしたとき、ああ違うな、わたしはもう、全然、好きなアイドルがいる。もっと言えば、初めて「愛するアイドル」がいる。
カッコイイは刺激的だけど、そこにトキメキはあれど、リスペクトが不在だったと気づいた10年。
あの頃、確かに憧れてた。でも憧れと尊敬は似て非なる。カッコイイなと思うけど、カリスマ的だなと思うけど、わたしは今もバカみたいに、仲間とかそういうのが大好きなんだ。
グループにいる彼が好きだった。
これはたぶん一生モノの癖みたいなもので、今愛して止まない彼だって、グループありきで好きなのだと思う。(だからグループと自分がイコールだという彼に安心するし信じる、と思うのだ)
自分のやりたいことを第一にそのカリスマ性を思う存分発揮した人
自分のやりたいことは全部グループの活動のため、グループが大前提の人
昔は前者の方がカッコイイし難しいと思ってたけど、今は真逆に後者の方がカッコ良くて難しくて、かつその上で自分の気持ちもグループの気持ちも、周りの気持ちにも答えようとするずっとずっと難しくことをそれでも信じて選び続ける彼らが愛しくてたまらない。
だから明日も明後日も来年も100年先も愛したい。