私たちの愛に名前があるといい

随分とほったらかしていた。

書くって難しいな。

 

もうすぐSexy Zoneが10周年を迎える。

何かを大好きになって、それを応援すること、ファンでいること、オタクでいることも1つの才能だなと最近思う。

こういうことに2年ほど前は興味を示していなかった母が「最近は羨ましいなって思う」と言ったことや、職場の同僚に「そういうのあるのいいよね」と言われたりもした。

私自身、社会人になって仲良くなった友達はオタク友達だったりするし、明るい気持ちにさせてくれる存在と、それを分かち合える友人がいることは、本当に幸福なことだと思っている。

だから、つらかったり悲しかったり悔しいことがあっても、好きになったことを後悔したことはない。むしろ、こういう気持ちのすべて、好きになったからこそだと思うと、その気持ちさえも尊いと思うこともある。

そして、つらかったり悲しかったり悔しいことがあるとき、私はどうしてだろう?なんでだろう?と考えるので、いい機会にもなってくれている。

 

異性のアイドルを応援していると、多くの場合「恋愛対象」扱いをされる。

本人たちも、私たちを恋人のように扱うときもあるし、それはいやではないのだけれど、例えば恋愛に関する報道でショックを受けることや、恋愛対象(好きな異性のタイプ)の話、最近だとアイドルの性的消費の問題のことなどから、異性アイドルを応援してる異性ファン=恋愛感情の好き、みたいな扱いをされることに疲弊する。

なんでだろう?と考えた。そもそも恋愛主義っぽい社会に疲弊してるからというのもある。さも恋愛関係、カップル単位の人間関係が最高位のような扱いをされている風潮がそもそもいやなのもある。自分のコンプクレックスを刺激されるのを含めて。

距離のある対象を応援しているのに、すぐにまたその恋愛・カップル単位のとこに戻されるのもうんざりする。そこからの逃避や飛躍でもあると思ってるのに。

アイドルの応援の仕方に「リアコ」とかいろいろ言葉があるけれど、私はリアコではないし、母性っぽいもの(産みたいとか)でもない。

じゃあなんなんだろう?と考えたけれど、言葉が見当たらなかった。

だから思った。「私たちの愛に名前があればいいのに」って強く思った。

アイドルとファンの関係だって、十分に「愛」だと思っているけれど、その関係性を今一般的に知られている「愛」に分類しようとすると、「恋愛」「親子愛」に近いものがよく出る。「母性愛」「博愛」「友愛」「純愛」ざっと簡単に出てくるのを並べてみたけれど、私の中では、やっぱりその「どれでもない」んだ。

「推し」という言葉が比較的新しい(と思ってるけど実際はどうかしらない)ように、私たちの愛にも違う名前があったらいいなって思う。

私は応援してるアイドルが、したいなら結婚してほしいと思うけど、パートナーがつくる幸せと、ファンがつくれる幸せは違うって信じていたい。現に、今ステージに立つ彼らの幸せをつくれるのは、私たちの愛もあってこそだから。

 

将来的に結婚したとしたら、応援しながら(ああ、この人はパートナーがいるんだよな)ってきっと思ってしまう。思ってしまうけれど、でも、私たちが持ってるのは違う「愛」だもんね、と強く思えたら、お互いに、それぞれに、自分たちの状況も存在も肯定できるんじゃないのかな?って思う。

だからわたしは、この愛の名前を探す。

「家族愛」と「メンバー愛」が少し似ていて違うように。

私たちには私たちの、愛の名前をつけたい。

SexyLoversっていう、すてきな名前をいただいているわけだしね。