2019振り返り~オタク編~
振り返るというか改めて自分の推し方などについて考える
①4人のツアーが始まったことと新潟公演
4人のSexyZoneをみることにどんな感情を抱くのか、ハラハラした気持ちもあった。
新潟公演の、一体感、たくさんの声、盛り上がり、それを「うれしい」と表現してくれる彼らに、自分たちファンができることは少ないけれど、それでも、こうやって彼らにたしかに、愛を示すことができること、幸せを返すことができると知れたことはとても喜ばしかったし、改めて応援しようと決意できた。
ただ愛をもらうだけじゃいやだから、愛を返したいから。
1人では微々たるものだとしても、あの日のあの空間、あの場所が、彼らの背中を押せたのであれば、こんな幸いなことはない。
4人だけで、5人だけで、頑張らなくていいから。わたしたちだってついてるからって、それでももらうもののほうが多いのかもしれないけど、それでも”一緒に”って、一緒にがんばらせてほしい。
②麒麟の子、ブラック校則
最初に聞いたときに、この曲を彼らが歌うことの、孤高さを感じた。
応援ソングのようであって、孤高の決意表明の曲。
PVの冷たい空間の中でただ白く、照らされる姿は、神聖であると同時に孤独だった。
ブラック校則公式での「この作品で世の中は変えられない」という言葉が、絵空事ではなく、建前のようなハッピーエンドでもないことに、信頼できると思った。
思うような理想的なところにはたどり着けなくても、何もしなかった時とは違う未来には行けること、それもまた想像や予定とは少し違うこと。
③TOPとは
紅白に出場できなかったこと、来年のツアーもドームがないこと、新たにドームが決まったグループや紅白に出るグループがいること、別のグループの勢い。
各々のグループはそれぞれにいいところがあって、どのグループも好きだけれど、どうして自分の1番応援しているグループじゃないのか?ということを考えてしまう年の瀬だった。
今まさにTOPを歩いてる嵐兄さんがお休みしたらどこが来るのか、勢いは、と考えたときに、おそらくキンプリのほうが強いな、と思うのだった。
このことを本当に考えてしまう1年だった。キンプリのことも好きだし、応援しているけれど、SexyZoneと比べるとどうもしんどくなった。何が違うのか、何かが足りないの?などと考えていた。
ゴチの(私にとっての)最終回、クビになったら誰を呼びたいかの質問に、わたしは(ここで風磨くんって言ってくれれば!もし来年もメンバーが来てくれたら!むしろここで風磨くんの名前が出るだけでも十分エモい!)などとよこしまなことを考えていたが、健人くんが後輩のキンプリやストスノの名前を挙げたことに、自分の心の醜さを知り、健人くんの清さを知り、キンプリもスノもストもセクゾもそれぞれがそれぞれでがんばるだけなんや、と、結果として比較されるものがあるとしても、なんか違うそうじゃない、というのをもやもや考えるようになった。
SMAPがいたTOPと嵐がいるTOPは、TOPといえば同じだけど、同じじゃない。
KPがとるTOPとSZがとるTOPも、TOPといえば同じだけど同じじゃない。
たぶん、SZは「ポスト」にはならない。
今まさしく愛するグループが、愛する人が何を負い、何をして、何を導こうとしているのか。
それぞれのグループが手にするTOPにしても、その様相は異なっている。別々の意味がある。別々の世界がある。目指す行き先が同じであっても、成すことと、成していくことは違う。
私の中の、T想像しやすいTOPの様相は、人気で有名で、バラエティとかによく出て、面白くて、楽しくて、歌もダンスもうまくて、これまでのアイドルのTOP像がよく似合う。今の時代によく合う、大衆に受けやすい。王道、わかりやすさ、とっつきやすさ、それらを兼ね備えているし、そういうもの。
セクゾにはわたしはそうじゃないものを求めている。今のバラエティじゃない、もっと違う角度、全然違う意志、ここにない別の世界観、自己肯定感を高めてくれること、多様性への理解、すべてにやさしくいることの困難さと尊さ、愛が救うということ。これらはまだ全然浸透としては薄く、大衆に受けやすいとは思わないし、まだまだ過渡期、変遷、でもだからこそ、これからの時代に絶対にいてほしい、と強く思う。「未来にある普通のものを作ること」がイノベーションなら、まさしくその最中だと思っている。だから、早く行けない、舗装されていない、思ってたより険しい、と思ってしまう。けれど、その険しさを拓くことのできる人たちと信じている。
彼らがTOPをとる世界はきっと、ずっと、美しい。
黄金のたてがみをなびかせた
勇気ある はみ出し者よ
こんなにも 虚しい時代でこそ
魂の限り叫べ We're Wonder Child